「花を植えるものは1年先を、木を植える人は10年先を、人を育てるものは100年先を見る」と言われます。社会福祉法人愛の園福祉会創設者 堀口 勇(1925-2000)はキリスト教精神に立脚し、近代日本100年の歴史を反省し、国家主義的教育に流されない人間教育の重要性を認識し、保育園運営においても、三愛精神を基本理念とすることにしました。
特に、聖書において神の言葉と言われている『私の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは即ち私にしたのである』という言葉の 「小さい者」を保育に欠ける乳幼児の中に見出し、乳幼児の健全な育成のために、その「発達権を保障する。環境権を保障する。教育権(保育を受ける権利)を保障する。」ことが、神への応答の実践であると確信し、これを創立以来、園設置・運営の基本理念としています。
すべての人は例外なしに「神によって創造された存在である」という理解に立って、
神を愛し、自然を愛し、人間を尊ぶことが人間性の基礎です。
社会福祉法人愛の園福祉会はこの視点に立ち、変化の激しい社会の中で次の4つを設置する園の基本方針と定めました。
そして、これを実践し、具体化するために、乳幼児一人ひとりの主体性(自立性・自立心・ 自律性)を重んじ、社会性の芽生え(協調性・連帯性・責任意識)を育て、個性が伸びる創造性(興味・集中力・探求心)のある子どもを育成することを目標として現在に及んでいます。
われわれは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい概念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める
(1951年5月5日発表)
園は設立の趣旨に基づいて保育目標の達成に努力してまいりますが、 しかしそれは単に園や保育士の力だけで達成できるものではありません。 そこには何といっても、保護者の方々の園に対するご協力、保育方針に対するご理解、保育目標達成のための相互努力が不可欠です。 保護者の皆様はこのことを認識され、園で開催する保育参観や教育相談等に積極的に参加され、共通理解に立つよう努力していただくことを念願します。
子どもを園に入園させると、その後の一切の保育責任は園にあると考える保護者がおられます。
そこで何か問題があれば、その中身を吟味しないで直情的に園に苦情を持ちこむか、または役所に電話をされたりすることがあります。
しかし、よく考えてみてください。
保育・育児の第一義的な責任は児童の両親または保護者にあります。
児童憲章でも、《すべての児童は家庭で…育てられ、家庭に恵まれない児童(保育を必要とする子)にはこれに代わる環境(保育園)が与えられる》と記され、児童福祉法第24条も、それを市町村長に義務づけています。
従って児童福祉施設である保育園および保育園に入所決定権を持つ市町村長も、人間における生存の秩序、社会構成の秩序から言っても第二義的意味においての責任を持っているにすぎず、第一義的には家庭にその責任があるわけです。
しかし、第二義的責任だといっても、その意味は決して第一義的な責任と比較して軽重の別があるわけではありません。
そこで、一旦入園決定され、園で受け入れた以上、園内で保育時間中に生じるあらゆる事故については全部園が責任を持つことになるわけです。
保育の現場からの実感として言えることは、「家庭の理解と協力」にも記しましたように、家庭における両親のしつけ、育て方、教育の重要性ということです。保育士は各家庭の延長線上に立って、家庭との連携の中で保育を継承し、発展させていくのです。
しかし、いかなる保育士も母親に代わることはできません。母親こそ子どもにとっては太陽なのです。